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老ノ坂峠

 私は酔うと歩きたくなるという妙な癖がある。京都駅近辺や木屋町界隈で飲むと、よほど疲れていない限り自宅まで5〜6kmの道のりをのんびり歩いて帰る。
 家人や友人達は危ないからやめておけと言うのだが、見てくれがどちらかと言えば強面(こわもて)な男が深夜に歩いていると関わり合いになりたくないと考えるのが普通で、危ない目になんか遭ったことがない。
 冬は歩いているうちに体がぽかぽかしてくるし、他の季節も夜風と適度な運動が酔いを覚ましてくれて本当に気持ちがいい。
 私の勤務地は京都市ではなく隣の亀岡市で、勤務地近くで飲んだ時は自宅までは15kmほどの峠越えの道なので歩いたことは無かった。
 終電に間に合うように切り上げJR山陰線で帰るか、遅くなった日はタクシーで帰ることが常だ。
 しかし先日の飲み会の後はふと歩き通したくなり、一人国道9号線を歩き始めた。
 車通りもまばらになった深夜のことだった。

 亀岡市から京都市をつなぐこの道は、老ノ坂(おいのさか)という峠がある。
 街灯はもちろんあるが所々はまばらな場所があり、久しぶりの月明かりを味わった。人口の光ではない自然の優しい光の中、虫の音を聞きながら歩く静かな峠道は本当に心地よかった。
 途中に「首塚」というおどろおどろしい名前の古い塚や殺人事件があったと言われる廃モーテルがあり、心霊スポットとして有名な場所であるが、自家用車通勤をしている私は毎日使っている道なのでそんなことは意識になかった。
 しかし、市境に当たる峠の頂上に「老ノ坂隧道」という車両用と歩行者用に分けられた二本のトンネルがあるのだが、そこに近づくにつれて妙な気分が襲ってきた。
 背筋に悪寒が走り心臓の鼓動が速くなってきたのが分かる。
 トンネルに入ることに対して本能が警戒サイレンを発している様な気がする。
 しかし今更引き返せないし、気のせいだと自分に言い聞かせながらトンネルの中に入った。
 トンネル内部は蛍光灯に照らされて明るかったが、全身の悪寒が去ることはなかった。そこにいる何者かに波長が合えば間違いなく見てしまうなという気がした。霊感がもっと強ければ既に見ているのかも知れないとも思った。
 しかし、妙なことを考えておかしなものを引きつけてしまうことを恐れた私は、濃密な気配の中、極力何も考えないようにして、ただ心の中で念仏だけを唱え続けた。
 車で通れば短いそのトンネルは意外なほど長い。
 峠の頂上にあるトンネルなので風の通り道になっているらしく、甲高い風の音が侘びしく響き、恐怖を何倍にも増幅する。
 私は歩くなんて馬鹿なことを考えなければよかったと後悔しながら、無心に念仏を唱え続けていた。

 その甲斐があったのかどうかは定かではないが、トンネルの中では気配以外の怪異に出会うことは幸いにしてなかった。
 ほっと胸をなで下ろし、私は下り坂になった峠道をまた気分よく歩き始めた。

 トンネルから3つ目ぐらいのカーブを曲がった所を歩いていた時だ。
 突然足首に何かが当たった。
 当たったと言うより、両足の間に何かが飛び込んできたようなのだ。
 何かと思い足もとを見てみると、野球用のボールだった。拾い上げてみると子どもが使うような軟式のボールだ。
 もちろん辺りには誰もいない。車もしばらく通っていない。
 落ちていたボールが突然はずんで転び始めるなんてことがあるはずがない。
 誰かが遊んで欲しがっているのかと思った。
 不思議に怖いとは思わなかった。
 さっきトンネルで感じたような悪寒や警戒すべきものの気配は全くなかったからだ。
 少し汚れたボールを手の中で転がしながら、息子とよくキャッチボールをしていたことを少し甘酸っぱく思い出しもした。
 2〜3回地面についてから、草むらに向かって軽く放り投げた。
 ついてきたら困るなと、ちらっと思ったがそんな気配は感じなかった。
 こんなところで子どもが迷ってるんだったら可哀想だなと思い、少し念仏を唱え、私はまた歩を麓に向けた。

 間もなく峠道も終わり。街の灯りももうすぐだ。


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