袖引き小僧

 袖引き小僧という妖怪をご存じでしょうか。歩いていると後ろから呼び止めるようにちょんちょんと袖を引くだけの地味な妖怪ですから、あまり知られていないかも知れませんが、体験談はたまに聞きます。有名なのは京都の太秦映画村で、ある常設セットとセットの隙間を通ると時々引かれるんだそうです。ただそこの「袖引き」は小僧ではなく、白地に赤い花柄の浴衣を着た小さな女の子だそうで、引くのも袖でだけではなく、直接手を引くこともあるそうです。
 その小さな手はぞっとするほど冷たく、また少女の全身を見た人はなく、手と浴衣の袖の目撃例があるだけだそうです。今はその抜け道は通れないように塞いであるとか…。
 私が体験したのは、太秦ではなく、同じ京都ですが鴨川の畔です。


 大学受験に失敗した私は、京都の大山崎にある予備校の寮に住んでいた。大山崎から阪急電車で烏丸四条に出て、そこからバスで予備校のある鞍馬口まで通っていた。当時はまだ京都には地下鉄はなかった。
 私のいた寮には伝説があり、四条から鞍馬口まで毎日歩けば大学に受かると言うもので、信じてる者はさすがに居なかったが、天気の良い日は予備校の授業が終わると散歩がてら歩いて帰る者は多かった。
 四条・鞍馬口間は4kmほどだったが、さほど勉強熱心でなかった私は、わざわざ遠回りをして鴨川の畔まで出て河川敷を歩いて帰ることもよくあった。
 そこは公園のようにしつらえてあり、散歩やジョギングをする人も多く、また川にはユリカモメが飛んでいたりして、歩くには本当に気持ちのいいコースなのだ。

 その日、私は河川敷を歩いていた。
 朝は同じ寮の友人と予備校に向かうのだが、帰りは受けてる授業が様々なので一人で帰ることが多く、その日も一人だった。
 季節は秋で、空は抜けるように青く、ぽかぽかと暖かい陽がさしていた。川面を吹く風は心地よく私の頬を撫でていく。浪人生活という無味乾燥な毎日の中でこういう時間は他のものに代え難いほどに貴重な時間に思えた。まして今日は、こんなにいい日和なのに他にあまり人がいない。心地よい風景を独り占めしたようで、私の心はどんどん軽やかになっていった。歩く足取りもとても軽かった。

 突然、薄い鞄を小脇に抱えていた左手が、「くいっ」と後ろに引かれた。

 後ろをふりかえってみたが無論誰もいない。
 風に鞄が煽られでもしたかなと、思いまた私は歩き始めた。
 そして十数歩。

 くいっ

 また引かれる。あれ?そんなに風きついか?私は鞄を右手に抱え直して再び歩き出した。

くいっ

 鞄がない左手が引かれた。もうこれは風のせいなどではない。左手の肘のあたりの袖を何者かがつまんで引いたのがはっきり分かった。姿が見えたわけではないが。
 私は歩く速さを速めた。先ほどまで心地よかった一人の状態が今は例えようもなく恨めしい。しかし心のどこかでは気のせいだと自分を納得させようとしていた。

 そして4度目。

 私は唐突に歩くのをやめてしまった。と言うより歩けなくなってしまったのだ。私の背後に息がかからんばかりに近づいた何者かの気配にすくんでしまったのだ。その気配はぴったり私に張り付いている。

「どうしよう!一体なんなんや、これは?!」
恐怖に心臓は大きく脈打ち、全身が総毛立つ。途方もなく長い時間が過ぎていくように感じる。

 頭は混乱し脂汗がにじみ始めたその時、遙か彼方からジョギングをしている男性がやってくるのが見えた。
 あの人が来れば何とかなる、直感的にそう感じた私は、その男性を凝視し
「早よこい!早よこい!早よ来てくれ!」
そう念じた。(言うまでもなく声は出せる状態ではなかった。)

 だんだんその男性の姿は大きくなり足音も聞こえ始めた。そしてその軽やかな足音がたったったっと私の横を通り抜けた時、背後の気配は消え私の体の硬直も解けた。
 私は急いで河川敷から出て人通りの多い方へと走った。

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 浪人生活という不安定な精神状態の中で体験したのですから、やはりこれも現実逃避をしたいという私の願望が作り出した幻覚なのかもしれません。でも私はその時「袖引き小僧」の話や、太秦の怪談は知りませんでしたし、私の身に起きた出来事がいったい何なのか、全く理解できなかったのです。何年かして「袖引き小僧」や太秦の話を知り、私と似た体験をした人は他にもいるんだなと少し安心したのです。


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