首の鈴

 この話は、以前知人が体験したことを元に再構成したものです。

 「え?! そんな・・・」
 母親からの電話を受けた彼女は言葉を失った。飼っていた猫が死んだと言うのだ。朝、彼女が家を出た時は、いつもと変わらず足下でにゃぁにゃぁと甘えた声を上げていたのに…。
 猫のこともショックだったが、猫好きの母のことが心配になり、ちょうど退社時間でもあったので急いで身のまわりを片づけ、彼女は職場を後にした。

 「ただいま」
 家の中から帰ってくる声はない。父親が帰る時間にはまだなっていないが母親はいるはずである。靴を脱ぎ居間の戸を開けると、がっくりと肩を落とした母が居た。
「どういうこと?!一体どうしたの?!」
力無く答える母の話によると交通事故らしい。家猫ではあったが自由に戸外に出入りを許していたのがあだになったと、言っても仕方のないことを母親は小声で繰り返していた。
 長く飼ってきた猫である。彼女が幼少の頃より家にいる。自由に出入りするのは今に始まったことではない。だからどうしても信じられなかった。

「それで、どこにいるの?今」
「隣の部屋に寝かしているわ。」
おそるおそる隣の部屋と居間を隔てているふすまを開けた。

 居た。

 交通事故と聞いていたので痛ましい姿を予想していたが、目立った外傷は見あたらず、まるで眠っているような姿だった。

 彼女は、猫のそばに座り優しく撫でてやった。冷たく、そして硬くなってしまっていたが、そうしていると子猫だった頃からの思い出が次々とよみがえってくる。

 初めて猫が家に来た日のこと。
 おもちゃで遊んでやったこと。
 のぼろうとしたカーテンに前足の爪がひっかかり、宙ぶらりんになってしまったのを家族で大笑いしたこと。
 どろどろになって帰ってきた日、大騒ぎしながら洗ってやったこと。
 一緒に布団で眠ったこと。
 撫でてやると目を閉じ、ごろごろとのどを鳴らして幸せそうな顔をしたこと…。

 この猫と共に過ごした日々の風景が次から次へと浮かんでは消えていった…。もう動かない、と言うことが信じられない。

 しばらくして父親も帰って来た。父もショックを隠せない様子だった。
 夕食後、再び猫の居る部屋で3人は声もなく猫を見つめていた。

「明日だな。」
と、ぽつりと父が言った。
「え?」
「明日、庭に埋めてやろう。今夜はもう遅い。おまえたちもそろそろ寝なさい。」
そういって父は自室へと戻っていった。いつの間に時がたったのか、壁の時計を見上げると深夜と言っていい時間になっていた。彼女たちも寝室に床を延べた。

 しばらくは寝付けなかったが、いつの間にか彼女は眠りに落ちた。

 それからどれくらいの時間が経ったろうか。微かな音を耳にした彼女は目が覚めた。

 チリチリ チリチリ
 
 猫の首に付けていた鈴の音だ。耳に慣れ親しんだ音だった。幼い頃、夜遅くに目覚めた時、その音が聞こえると、
「ああ、猫も起きてるんだ。」
と安心させてくれた音だった。
 気のせいかと思い耳を澄ました。

 チリチリ チリチリ 

確かに聞こえている。
 今夜は彼女の横で寝ていた母親の方を向いた。母も起きていた。

「聞こえる?」
「ええ。聞こえるわ。」
「息を吹き返したのかな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・いや、そうじゃない。今、見てきた・・・・・・。」
からりと廊下の障子を開け、父が入ってきた。彼女たちが話しているのが聞こえたらしい。父の話では、彼女が気付く前から音は少しずつ間をおきながら鳴り続けているらしい。
 
 父も娘の隣で横になり、じっと天井を見つめている。

「遊んでるのかなぁ。」
「・・・ああ。きっとそうだ。」

「台所の方へ行ったね。のどが渇いたのかな?」
「だいじょうぶよ。お水は用意したままだったから。」
涙声の母が答える。

「あの音を聞くのは・・・・・・・・・・今夜が・・・・最後?」
「ああ・・・・・・、そうだな・・・・・・・。」

 彼女も彼女の両親も、その優しい鈴の音を聞きながら止め処もなく流れる涙をぬぐうこともせず、ただじっと耳を澄ませているのだった。
 その音は時々とぎれながら、明け方まで続いた。

 突然に訪れた死。別れを告げることもできずに見送らねばならならなかったはずだった。しかし猫が自分たちに別れを惜しむ時間をくれてるのだと思った。そして、長く住んだこの家と自分を愛した家族に別れを告げているのだ、そう彼女は思っていた。


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