祖父の死
肉親や愛するもの同士は死を超えて繋がりあえる…。そう思います。

 私の父方の祖父が亡くなったのは、私が小学校5年の時だった。私や姉は、初めて接する近しい者の死に、少なからずショックを受け、知らせを受けて祖父の家に着くまで、黙りこくっていた。
 祖父は古い寺の住職だったので、その葬儀は正面で読経する僧だけでも5人、その他大勢の僧侶たちがぐるりと本尊を取り囲むという、大層大がかりなものだった。
 祖父は高齢の大往生だったし、寺に生まれ育った者達は日常的に死に接し、また死が極楽への出発点という考えが根底にあるのか、参列している親族たちには湿っぽさは全くと言っていい程なかった。
 祖父を火葬場に運び、いったん寺に戻って休憩している時も、祖父の思い出話に花が咲き、笑い声が絶えなかった。
 ショックを受けていた私や姉も、その大人達の笑い声に包まれているうち、少しずつ気持ちがほぐれていった。
 皆が談笑していた部屋は、寺の本堂ではなく、家族用の小さな仏壇がある部屋だった。普段は仏壇の前の片開きの襖は閉じられている。
 小一時間が経過しただろうか。突然その襖が、誰も触らないのに、「ギー…」と、きしんだ音を立てて開いた。すると、別の寺で住職を務める伯父が事も無げに
「あ、おじいさん、帰って来たったな。」(たった=「〜された」と言う敬語を意味する播州地方の方言。関西弁の「〜はった」と同意)
と言ったのだ。私はどきっとした。しかし、あまりに自然に発せられた言葉であったからか、少し怖くなりながらも、受け入れることが出来た。

 その夜、私の父は仕事で神戸に向かい、私と姉と母は自宅に戻った。私はすっかりショックから立ち直っており、疲れも手伝って、早々に自分の部屋に引き上げ、一人眠りについた。しかし、姉は私より3つほど年かさである分、まだ完全には気持ちの整理がつかず、その日は姉は母の隣で寝ることになった。つまり、父の普段寝ている場所で寝ることにしたのだ。
 姉は、なかなか寝付けず、深夜2時を回って、ようやくまぶたが重くなり始めた。もう今にも眠りに落ちようとしていた時、ふと足元が重くなっているのを感じた。何だろうと思い目を開け足元を見ると・・・・

 祖父がそこに立っていた。

 祖父はじいっと姉を見つめていた。
 姉には恐怖感は全く訪れず、祖父が父に、つまり自分の息子に会いに来たのだと言うことを直観的に悟ったという。そして、姉は心の中で、今日父はここにはおらず、神戸にいることを語りかけた。
 祖父はかすかにうなずいたかと思うと浮き上がり、壁と天井の境目あたりにすうっと吸い込まれるようにして遠ざかっていった。距離としては壁のずうっと向こうにいる祖父が、姉にははっきり見えた。

 祖父が消えた時刻、父は神戸のホテルでまだ机に向かって仕事をしていた。そして、父はふと何者かの気配が背後にあるのに気づいた。何だろうとふり返った父の目には何も映らなかったが、確かにそこに何者かの気配があった。しかし父にも恐怖感は訪れなかったという。

 他人にとっては単なる怪談だが、私たち家族にとっては、死を超えた家族のつながりを感じることの出来る、懐かしい出来事である。


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