震災

阪神淡路大震災の直後、私は六甲道に住む友人と、垂水に住む友人宅を訪問した。目的は六甲道の友人の引っ越しを手伝うためと、垂水の友人には、京都に住む他の友人から預かった見舞金を届けるためだった。
 まだ、電車は一部しか復旧しておらず、行けるところまで電車で行き、後は、折りたたみ自転車で走ることにした。
 自転車で走る崩壊した町では、すでに人々は活気を取り戻し始め、瓦礫の街の中で、ラーメン屋を開いてる人々や、ボランティアで走り回る人々であふれ、人間の強さを感じ、かえって私の方が勇気づけられるような思いがした。
 垂水の少し手前で電車が走っているのがわかり、自転車をたたんで私は電車に乗り込んだ。車窓からは傷跡がまだ生々しい神戸の街が見えた。列車はまだ、不安げで、スピードを出すことはせず、ゆっくりゆっくり走っていた。線路も車体もきしみ、甲高い悲鳴を上げているようだった。その音が悲しげで、まるで今回の悲劇を嘆き悲しむ泣き声のようにも聞こえた。

 私は、突然、不思議な感覚に襲われた。車窓に次から次へと現れる、傾き崩壊しかけている家々を見ているうち、地震が襲ったときの、音が残っているような気がしてならなかったのだ。一番耳に鋭く響いた音は、ガラスが割れる音だった。それから金属がきしむような音、そして人々の悲鳴…。
 もう地震から1週間がたっており、そんな音がするはずもない。だが、私の耳には確かにそれらの音が響いているのだ。耳は痛み、胸が締め付けられるような音だった。
「音の残像?まさかな。気のせいや。」
間違いなく気のせいだ。私が自分自身で作り出した幻聴に他ならない。
でも、私にとっては真実だった。
 自分が見ているこの光景と、そしてこの体験、決して忘れてはならないと思った。


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