古い記憶

 先日、姉の嫁ぎ先の義母が他界した。
 先述の「妻を起こす」という記事に登場する義母である。

 義母の通夜式や葬儀は、姉の嫁ぎ先にほど近い葬儀場で行われた。
 大層立派な式場で感心したのだが、システム化された現代の葬儀場のありように、私は不謹慎にも違和感と言いようのない冷たさを感じていた。先般オスカーをとった映画「送り人」に描かれたような様式美は感じられず、効率化が図られた式の進行や司会者の「ムード満点」の司会ぶりが鼻につき、仕方のないことではあるのだろうとは思いながらも、少々寒々しい思いも抱きながら参列していた。しかし、私のその不遜な思いは通夜式の最後に霧散した。
 式の終わりに喪主である義兄が挨拶に立った。
 義兄の挨拶は朴訥として素晴らしかった。
 初めに、「信じてはもらえないかも知れないが」と言う前置きで、まだ自分が乳母車に乗っている頃の母のぬくもりが語られた。
 また、最近の話も語られた。晩年義母は少し痴呆が入っていた。ある日義兄が仕事から帰ると、裏返した新聞の折り込み広告の紙を前に母が嘆息をついていた。どうしたのかと聞くと
「S子さん(私の姉)に手紙を書きたいんやけど、字が思い出せんのや。」
と言ったそうだ。
 後日、裏にたどたどしい字で「ありがとう」と記されている広告を居間の炬燵の上に発見した姉は、声を上げて泣いたそうだ。
 義兄は時折言葉に詰まりながらも、そんな細やかな思い出を様々に語った。
 義兄の言葉には旅立った母と、母の介護に身を削った妻への、感謝の思いがあふれていた。
 姉は夫の傍らで号泣し、会場は参列者達のすすり泣きで満たされた。
 何よりもの供養だと思った。字義通りの意味で「有り難い」事だと感じた。
 システム化された故に私たちの生活に蔓延している「冷たい快適さ」を補うのは、そこに生きる者達の「こころ」なのだと痛感した。

 通夜式の後、親類縁者だけで小さな宴が催された。そこでやはり義兄の挨拶が話題になり、話の中にあったような幼い頃の「古い記憶」は皆にもあるかと問われた。

 私にもあった。やはり母の思い出である。
 私はねんねこ袢纏(ばんてん)にくるまれて母の背に負われていた。辺りの夕闇が迫った風景や母のうなじは映像として、「ねんねこ」の襟のビロード地は心地よい肌触りとしてはっきり覚えている。
 ほんの乳飲み子の時の記憶だと思う。

 面白かったのは、甥(姉の長男)の「古い記憶」だった。
 彼が幼い時、古い家が取り壊され、新しい家が建てられた。その新しい家は大工をしていた彼の祖父(「妻を起こす」の義父)がたった一人でこつこつと時間をかけて建てた立派な家だ。
 家が完成し、代々伝わっている仏壇が仏間に運び込まれた時、仏壇の前に見知らぬ人が白い着物を着て座っていたのだそうだ。
 家の新築を先祖が祝いに降りてきたのだろうと、皆が思った。

 きっとそんなこともあるのだろうと素直に信じることが出来たのは、その宴が始まってからずっと、亡くなった義母がにこにこしながらその部屋のどこかに座っている気配を、誰もがはっきりと感じていたからだと思う。