やはり心霊現象?  〜金縛りに関する私見〜

 先日、本当に久々に金縛りを体験した。
 ここ十数年、金縛りに遭うことはなく後述の解除法も金縛りの最中には忘れており、少し焦ってしまった。

 うつらうつらとしてまさに眠りに落ちるかどうかという時にそれは襲ってきた。
 布団の上から私の足の上に何かが乗っているような重みを感じ
「ん?」
と不審に思ったとたん体は動かなくなった。
 そしてその重みは足もとから胸へとせり上がり、そして何者かが私の頬をなでるのだ。優しくという感じではない。かといって乱暴でもない。ただ単調に繰り返し頬をなでてくる。
 金縛りが心霊現象ではないと思っている私は、さほど恐怖は感じなかったがそれでも心地よいものではない。何とかこの感覚を振り払おうと思い、目をこじ開けようと懸命になった。
 30秒ほどの格闘でうっすらと開けることができた私の目に映ったのは、暗闇の中に浮かび上がる4本の手だった。その手は私にではなく天井の方に向かって伸びている。ただ、形は人の手なのだが、かなり小さい。子供の手というわけではない。大人の手だがサイズが小さいのだ。手のひらの長さはわずか数センチといった感じだ。そしてその4本の細く長い腕が絡み合いながら上方に向かって蠢き、小さな掌は何かを掴もうとするかのように指が開いていた。
 さすがに少し背筋が寒くなったが、まだきちんと目覚めてないんだと言い聞かせ目を何度か開け閉めすると、その手は消え見慣れた部屋の風景が見えた。そして同時に金縛りも解けていた。

 「そういえば、今朝あの子現れたわよ。」
翌日、その話をすると少し目を伏せながら妻はそう言った。
 朝食の準備をしているとき、昨年死んだ猫が現れたというのだ。足もとにかなり長い間うずくまっていたと言う。
 「猫」の欄の体験談(気配)も併せて読んでいただくとよくわかるのだが、私たち夫婦は死んだ飼い猫の気配を感じるという体験(気配を感じると言うより姿を見るのだが。)を何度かしている。ただ、昨年旅だった猫の気配を私は感じたことがなく、迷わず成仏してくれたのだと思うのと同時に、少し寂しい思いもしていた。
 しかし妻は、今まで言わなかったが、何度か感じていて、それが今朝もあったと言うのだ。そう言えばその猫は私よりも妻になついていたのは事実だ。と言うより、私にはあまりなついていなかった。
「何や、死んでからもあいつは俺のところには現れんと隠れとるんか?」
とおどけたが、釈然としないものは残った。

 私の頬をなでたあの手は猫だったのか。
 確かに猫は寝ている人を起こすとき顔を前足で撫でるように押すという仕草をよくするし、だとすると異様に小さかったのはつじつまが合う。猫の手サイズだったと言えばそんな気がしないでもない。
 本物の霊能力者ではない私が、「頬をなでる何か」ということだけを認識したため、先入観により人の手のように見えたのというのは、あり得ない話じゃないと思う。この世のものではないものを見るとき、そこに現実にある「物体」を見るのとは違って、経験や主観のフィルターを通すため、きちんとした姿を認識できないのはむしろ当然だろう。
 しかし、だとすると、金縛りも猫の霊の仕業なのか。
 霊的現象ではないと考えてきた私の考えは誤っていたのか。
 これが私が釈然とできない点だ。


 あの金縛りの日からいろいろに考えを巡らせた来たがようやく一つの結論にたどり着いた。無論、何かの根拠があるわけではない。ただ、私の経験や感覚に齟齬感がないと言うだけのただの推論である。

 金縛りはやはり霊的現象ではなく、肉体的現象だというのは、今まで数度あってきた金縛りから得た私の実感である。今回のただ一度の体験で揺らぐようなものではない。
 では今回のことはどう説明するのか。
 また、他の体験者が霊的現象であると感じることが多いのはなぜなのか。

 金縛りは、精神だけが起きていて、肉体は眠っているという状態である。つまり半覚醒の状態にある。
 この状態にあるとき、人は外部からの刺激に対し開放的で、いわゆる超感覚的な体験もしやすい状態にある。これもこのページで何度か述べてきたことだ。(テレパシー その1その2その3テレパシー実験 その2 等)
 そのような状態にあるために霊的なものに対する感覚も鋭敏になり、普段そう言ったものを見ることがない人も、金縛りの最中には目撃することが多いのではないだろうか。
 つまり霊的なものが金縛りの原因になるのではなく、半覚醒の状態は超感覚をむしろ活性化させるために、金縛りの最中に霊的現象に遭遇しやすくなるのではないかと考えるのである。

 「だからどうした。」って言われそうな、「卵が先か鶏が先か」の類の話だが、これが私なりの結論である。

*******この記事を書いて数年後の書き足し*******
  

 金縛りの最中にたまたまそこにいる霊的なものを見たという場合には私の推論は当てはまりそうだが、その霊的なものが明らかに体験者を攻撃したり接触したりしてくる場合はどう説明するのか。
 霊的なものが接触してくるタイミングと、金縛りになるタイミングが偶然に一致するなどと言うことがあり得るのか。
 ふと湧いたこの疑問が、金縛りに対する理解を更に深めてくれることになった。
 金縛りは肉体にストレスや負担がかかり、疲労している時に起こるというのが科学的な説明によく使われるロジックである。その論理をそのまま当てはめて考えればいいのではないだろうか。
 霊的なものとの接触は大きなストレスである。その霊的なものが体験者に悪意を持っていたり攻撃的であったりする場合ほど、負担は更に大きなものになることは想像に難くない。
 その負担が金縛りを誘発する。もちろん同時に肉体的疲労もあれば更に金縛りが起こる可能性は高まる。
 霊感が強い体質の方が頻繁に金縛りを体験されることが多いのは、そう考えれば納得できるものになる。
 その場合は金縛りが霊的現象であると考えて差し支えないと思う。
 つまり金縛りが体に起こるシステムはどれも同じだが、それを誘発させる疲労やストレスの原因が単なる肉体的なものである場合であったり、霊的なものとの接触であったりする、ということなのだろう。
 私の場合は霊感がそんなに強いものではないため、霊的なものが接触を図ってくることがあったとしてもそれを感じる感受性が低く、気づかない、つまりストレスとはなり得ないのだろう。だから体験する金縛りはその殆どが単なる肉体的疲労が誘因となる。
 猫の場合は飼っていたものであるし、私とたまたま波長が合いやすい状況になったということなのかも知れない。その状況で私の頬を押すという積極的な行動に猫が出たことで私にストレスがかかり、金縛りが起こった。半覚醒の状態であるために、普段見ることが出来なかった猫の姿をおぼろげな形で見ることができた、ということなのかもしれない。


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